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横浜地方裁判所 平成6年(ワ)3124号 判決

原告

菊地正次

原告

川崎孝

原告

長田保

原告

北村融

右四名訴訟代理人弁護士

荒井新二

前川雄司

黒澤計男

被告

大野シャーリング株式会社

右代表者代表取締役

大野文子

右訴訟代理人弁護士

岡昭吉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一本件請求

原告らは、いずれも被告に雇用された労働者であったが、平成五年一〇月二五日退職したところ、退職金の一部が支払われていないと主張して、原告菊地正次において金四六四万九九七〇円、原告川崎孝において金四〇〇万六四〇〇円、原告長田保において金三六五万四四〇〇円、原告北村融において金一〇六四万九八三五円の各未払退職金及び右各金員に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めている(起算日は退職の日の翌日である平成五年一〇月二六日。)。

第二事案の概要

一  争いのない事実及び確実な書証により明らかに認められる事実

1  被告は、鋼板類の切断、折曲加工及び販売等を主たる目的とする会社である。原告菊地正次(原告菊地という。)は昭和四三年一〇月一日に、原告川崎孝(原告川崎という。)は昭和四四年一一月一日に、原告長田保(原告長田という。)は昭和四六年六月一日に、原告北村融(原告北村という。)は昭和三五年六月一五日にそれぞれ被告に雇用され、以来被告会社の業務に従事してきたが、いずれも平成五年一〇月二五日会社都合により退職した。原告らの在職期間及び退職当時の基本給日額は、次のとおりである。

(一) 原告菊地 二五年〇月二五日間 九五五〇円

(二) 原告川崎 二三年一一月二五日間 一万一一二〇円

(三) 原告長田 二二年四月二五日間 一万〇二〇〇円

(三) 原告北村 三三年四月一一日間 一万〇一一〇円

2  被告は、原告らに対し、平成五年一一月一二日までに退職金として、次のとおりの金員を支払った。

(一) 原告菊地 三五〇万円

(二) 原告川崎 四〇〇万円

(三) 原告長田 三二〇万円

(四) 原告北村 四五〇万円

3  原告らは、本訴において、(証拠略)として、昭和五二年七月一日を作成日付とする「退職金(改正)」と題する文書を提出しているが、右文書には次のとおり記載されている。

『社員の退職金は下記の通り支給する。

基本給×係数×勤続年数

係数 三・一年~四・〇年 五日分

四・一年~五・〇年 六日分

五・一年~七・五年 八日分

七・六年~一〇・〇年 一〇日分

一〇・一年~一二・五年 一三日分

一二・六年~一五・〇年 一六日分

一五・一年~一七・五年 一九日分

一七・〇年~二〇・〇年 二二日分

二〇・一日(ママ)~二二・〇年 二六日分

二二・一年~二五・〇年 三〇日分

二五・一年~二七・五年 三四日分

二七・六年~三〇・〇年 三八日分

三〇・一年~三五・〇年 四五日分

三五・一年~四〇・〇年 五三日分

四〇・一年~四五・〇年 六二日分

四五・一年~五〇・〇年 七一日分

五〇・一年~五五・〇年 八〇日分

五五・一年~以上 一〇〇日分

但し、死亡その他やむを得ない理由により退職した場合は全額支給するが、自己の都合による退職の場合はその七〇%まで減額出来る。又、慰労金は最高額相当まで支給出来る。』

二  争点及びこれに関する当事者の主張

右(証拠略)は、真正に成立した被告会社の退職金規程か、否か。

1  原告の主張

(証拠略)は、真正に成立した被告の退職金規程である。これに基づいて原告らの退職金額を計算すると、原告菊地は八一四万九九七〇円、原告川崎は八〇〇万六四〇〇円、原告長田は六八五万四四〇〇円、原告北村は一五一四万九八三五円となる。

そして、右各金額から前記第二の一の2の既払退職金額を差し引くと、未払の退職金の額は、

原告菊地が金四六四万九九七〇円

原告川崎が金四〇〇万六四〇〇円

原告長田が金三六五万四四〇〇円

原告北村が金一〇六四万九八三五円となる。したがって、被告は、原告らに対し、右各金員及びこれに対する遅延損害金の支払義務がある。

2  被告の主張

(証拠略)は、かっ(ママ)て被告会社の専務取締役の地位にあった訴外齋藤賢治(齋藤という。)が、平成五年四月二五日退職後に、何らの権限なく偽造したものであり、被告の退職金規程ではない。

第三争点に対する判断

一  原告らは、(証拠略)の「退職金(改正)」と題する書面(本件書面又は本件規程という。)は、被告の真正な退職金規程であると主張し、同旨の証人齋藤賢治(齋藤と言う。)の証言を援用し、同人の同旨の陳述が記載された(証拠略)の陳述書を提出する(なお、同証人の証言及び〈証拠略〉記載の陳述を併せて齋藤供述ともいう。)。齋藤は、昭和三八年に被告会社に入社し、昭和五一年に専務取締役に就任し、平成五年四月二五日に退任(退職)したものである(齋藤証言)が、(証拠略)の作成経緯について次のとおり証言している。すなわち、被告には昭和四〇年代の前半に制定された退職金規程があり、その規定によると勤続一年以上の者に退職金を支給していたが、在職期間の短い従業員が増えてきたので、三年以上の在職者に支給するようにするため、昭和五二年七月一日にそれを改訂して新たに制定した退職金規程が(証拠略)の退職金規程であり、これは被告の大野文子社長に相談の上、齋藤が作成したものであるというのである。右(証拠略)の陳述書にも、ほゞ同旨の陳述の記載がある。そして、本件規程が被告において適用されていた退職金規程であるとの原告らの主張を根拠付ける証拠は、齋藤供述をおいてほかになく、結局原告らの本件請求の成否は、齋藤供述の信用性の有無にかかっている。そこで、齋藤供述に信を措くことができるか否かについて検討する。

1  証拠によると、次の事実が認められる。

(一) 被告は、昭和二年三月に大野兼吉が大野商店の商号で始めた鋼板の切断、折り曲げ加工及び販売業を、その子である大野金太郎(金太郎という。)が引き継ぎ、昭和三九年六月二九日に法人成りして設立された会社である。被告会社は、生麦の本社に工場を併設し、戸塚にも工場を保有していた。(〈証拠・人証略〉)

(二) 被告の現代表者大野文子(文子又は大野社長という。)は金太郎の子であるが、大野昭司(昭司という。)と婚姻した。文子及び昭司は、その取締役に就任し、昭司は専務取締役として会社の事務を処理していたが、文子は、専ら大野家の家事を処理しており、被告会社に出社したことはなかった。(〈証拠・人証略〉)

(三) 齋藤は、昭司の天津中学校時代の同学年の同窓生であるが、昭和三八年二月当時東京地方裁判所事務局経理課に裁判所事務官(係長)として勤務していたところ、共犯者と共謀して商店から四七二万円相当の薬品を騙し取ったという取り込み詐欺の嫌疑で逮捕された。このことは、新聞にも報道された。昭司が新聞の右報道を見てこれを話題にしたところ、金太郎は、齋藤が昭司の同級生ということもあって同人に情けをかけ、被告の従業員として働かせることにして、齋藤を採用した(なお、齋藤が逮捕後、どのような刑事処分を受けたかは、詳らかではない。)。齋藤は、爾後被告の従業員として勤務するようになった。(〈証拠・人証略〉)

(四) 金太郎の没後、昭司が後任の代表取締役となり、文子は同じく取締役の地位にとどまっていたが、家事に専念していて、出社したことはなかった。ところが、昭和五一年六月に昭司が病死したが、文子は会社の経営に関与していなかったため全く事情が判らず、被告会社においては、後継者を誰にするか問題となった。一時は、文子の母(金太郎の妻)が代表取締役に就任するとの案も浮上した。そのような状況の下、齋藤は、文子に対し、会社の経営には金銭面に詳しい人が必要であり、自分が適任であるから、自分が専務取締役になりたいと申し出て、自分を売り込むとともに、社長には文子がなればよいと勧めた。文子は、自分を売り込む齋藤を奇異に感じ、平社員から専務取締役に選任することに抵抗を感じたものの、結局齋藤の進言どおりにすることとし、文子が後継の代表取締役社長に就任し、齋藤は、平の従業員から取締役に選任され、専務取締役に就任した。なお、その際、齋藤は従業員としての退職金五〇〇万円の支払を要求したので、被告は、これを支払った。(〈証拠・人証略〉)

(五) 大野社長は、会社経営に疎いことから、被告会社の常務は、最終的な決裁は大野社長がしていたものの、主として齋藤が意のままに取り仕切っていた。齋藤は、専務取締役に就任してから一〇年位経過したとき、大野社長に対し、「一〇年持ちこたえたのは誰のお蔭だ。ご褒美として一〇〇〇万円くれ。」と金員の支払を要求した。大野社長は、これを断った。しかし、齋藤が支払ってもらえないのであれば、被告会社を辞めてやるという趣旨で、「明日にでも会社を潰す」旨述べたので、大野社長は、已むなくこの要求に応じることとし、五〇〇万円を被告会社の資金で、五〇〇万円を大野社長個人の資金で、併せて一〇〇〇万円を齋藤に支払った。しかし、被告が取締役に対して、このような金員を支払ったことは例がなく、全く異例のことであった。(〈証拠・人証略〉)

(六) 被告は、商社の阪和興業株式会社(阪和興業という。)との間で商品取引契約(与信限度額一億円)を締結して鋼材を仕入れていた。被告は、右取引上の債務を担保するために、被告所有の土地及び建物に根抵当権を設定しており、大野社長も社長就任時に個人保証(連帯保証)をしていた。

齋藤は、昭和五六年一二月ころ、大野社長に対し、阪和興業が女の社長の個人保証は認めないといっていると嘘をつき、自分も連帯保証人に入ると言って、同月二八日阪和興業に対して、被告の右債務を連帯保証した上、大野社長に対し、保証料として年額一〇〇万円を支払うように要求した。被告は右要求に応じて、その支払を続けてきた。平成元年には、与信限度額が二億円に増額されたことに伴い(被告所有の土地及び建物に対する根抵当権も追加設定された。)、齋藤は、保証料を年額二〇〇万円にすることを要求し、被告もこれに応じてきた。平成五年に入り、齋藤が被告会社を退社するという話が持ち上がったことから、大野社長が阪和興業東京支社に赴き、齋藤の連帯保証を外すように依頼した。同社の天尾鋼板部長は、大野社長に対し、「被告会社との取引について、大野社長以外の保証人は必要ない旨齋藤に話してある。」「もともと齋藤の連帯保証は必要ではない。」旨説明した。被告と阪和興業との間の商品取引契約は、被告の事業の縮小に伴い、平成五年八月二五日に解除されたが、被告は、阪和興業の天尾部長からの説明に基づき、平成四年一二月二八日から平成五年八月二五日までの保証料を齋藤に支払わなかった。(〈証拠・人証略〉)

(七) 齋藤は、平成五年一月ころから会社を休みがちで、出社しても外出することが多くなり、従業員の残業のない水曜日に限って一人で会社に残って、書類を焼却するという不審な行動が目立つようになり、また、そのころ、被告が古河機械金属工業株式会社から受けているユニックの仕事を横浜市神奈川区にある「協三工業」という会社に渡してしまい、爾後被告はその仕事を失ってしまった。齋藤は、同年四月二五日に取締役を退任して被告を退職したが、退職慰労金の額などについて折り合いがつかず、その支払がないまま推移していたところ、平成六年四月二五日被告に対して、退職慰労金として七七三一万四五〇〇円の支払を請求する書簡を送った。更に、齋藤は、平成六年五月一一日被告に対し、阪和興業に対する連帯保証の保証料(平成五年八月二五日までの分)として一三三万三三三三円の支払を請求する書簡を送った。

齋藤は、戸塚工場の土地を売ってでも要求どおりの退職慰労金を支払うように要求したが、結局、一二〇〇万円ということで決着し、被告は、株主総会の決議を得た上、これを平成六年七月二九日齋藤に支払った。齋藤は、平成六年八月八日被告に対し、保証料の支払を催告する内容証明郵便を送り、被告がこれに応じなかったため、同月二九日神奈川簡易裁判所に対し、保証料の支払を求める調停の申立てをしたが、同年一〇月二八日これを取り下げた。(〈証拠・人証略〉)

(八) 齋藤は、退職に先立ち、平成五年四月中旬に戸塚工場を訪れ、工場長の原告川崎に対し、同月一杯で退職する旨話したことから、退職金のことが話題になった。齋藤は、同原告からの質問に対し、被告には退職金規程がある旨答えた。そこで、原告川崎は、齋藤に依頼して、齋藤退職後の同年六月初めころに本件書面のコピー及び本件規程に基づき同原告の退職金を試算した計算メモを送ってもらった。同原告は、同年一〇月二五日に退職し、同年一一月一二日被告から退職金として四〇〇万円の支給を受けた。同原告は、支給額が齋藤に試算してもらった金額よりも少なかったことから、同月末に被告の常務取締役武田邦博(武田常務という。)に電話で尋ねたが、大野社長が病気で入院中であったため良く判らなかった。その後、同原告は、原告菊地、同長田及び同北村に対し、齋藤から送ってもらっていた本件書面のコピーを見せて、原告ら四名で大野社長に会うことになり、翌一二月原告らは入院中の大野社長に会って説明を求め、原告菊地が労働基準監督署に行って調べたところ被告の退職金規程はなかったが、どの様にして計算したのかと尋ねた。大野社長は、個々の事情を考えて計算した旨答えるに止まった。原告らは、平成六年二月一八日にも大野社長に会い、大野社長に対し、退職金規程があったのではないかと言って本件書面のコピーを示したところ、大野社長は驚いた様子で、そのコピーを取らせてもらった。(〈証拠・人証略〉)

2(一)  以上の認定事実に基づいて検討する。本件書面は前記のような内容の記載のあるものであるが、社名の入っていない市販の罫紙に手筆(ママ)で書かれたメモ書き程度のもので、被告会社の規則規程であることを示す文言も、作成者の記名や被告の記名もない単葉の書面で規則規程の体裁をなしていない。そして、被告代表者尋問の結果により被告の就業規則(昭和四一年三月二〇日施行)であると認められる(証拠略)が、会社の印鑑及び当時の代表取締役である大野金太郎の印鑑が押捺され、各葉の契印もなされているのに対比すると、実質的には就業規則の一部をなす退職金規程としては、極めて不自然というほかない。

(二)  齋藤証人は、本件書面は被告会社にある原本を、退職前にコピーして保管していたものであると証言する。右証言の信用性を検討するに、原告川崎は、平成五年六月初めころ本件書面のコピーを齋藤から提出を受けたというのであるが、平成五年六月初めころの時期といえば、齋藤が被告会社を退職後、退職金の支払と保証料と(ママ)支払を請求する書簡を送って、齋藤が被告とその支払を巡って対立していた時期である。更に、齋藤が退職間近に会社の書類を焼却するという不審な行動をとっていたことは前記認定のとおりであり、しかも、「私の退職金の話し合いのプラスになると思って」書類を焼却したとも、何らかの工作をしたことを窺わせるような証言もしている。また、大野社長は、原告らから本件書面のコピーを見せられた際に、驚いた様子を示し、そのコピーを取らせてもらったというのであるが、このことは、大野社長が右書類をその時初めて見たものであることを示している(〈人証略〉は、大野社長が驚いた様子を示したことについて、「そのような書類が従業員の手に渡ることはないはずなのに、自分たちが実際に持っていたので驚いたのだと思う」旨証言するが、仮に、大野社長が本件書面の存在を承知していたのであれば、原告らから示された書面をコピーする必要性は乏しいと考えられるから、同証人の右の解釈は、原告らに都合の良すぎる解釈であり、採用しえない。)。また、昭和五一年六月二三日以来現在まで常務取締役の地位にある武田常務は、本件書面を見たことはなく、昭和五九年七月に入社し、齋藤の補助として総務関係業務に携わり、齋藤退社後は営業、総務、経理関係業務を同人から引き継いだ穴吹直弥も本件書面を見たことはない。これらの事実に、前記認定の齋藤の被告会社入社から退社に至るまでの業務執行の状況及びその経緯並びに退社後における退職慰労金と保証料を巡る争い等を併せると、右齋藤証言は信用することができない。

3(一)  被告は、昭和四一年三月二〇日に就業規則を制定するとともに、従業員の退職に際して年金又は一時金を支給することを目的として、同年四月一日に退職年金規程を制定して、退職年金制度を採用した。退職年金規程は、昭和五六年及び平成元年の一部改正を経て、平成三年四月一日に現行規程に改正され、従業員代表である原告北村の改正に異議がない旨の意見を付して労働基準監督署に届出がなされた。被告は、退職年金制度の運営を図るために、従業員を被保険者として第一生命保険相互会社と企業年金保険契約を締結して、保険料を全額被告が負担してきた。退職年金規程によると、勤続一年以上で定年(就業規則一五条により満五五年。〈証拠略〉)に達し退職したときに退職年金を支給し(一二条)、右受給資格者は一定の自(ママ)由があるときは年金の一時払いを受けることができる(七条)が、定年を超えて勤務した期間は勤続年数に算入せず、一年未満の端数は切り捨てるものとしている。(〈証拠・人証略〉)

(二)  被告は、右退職年金制度にかかわらず、退職金を一時金にて支給する取扱いをしてきた。すなわち、従業員が満五五年に達したときは、従業員が保険会社から年金の一時払を受けていったん被告に預託し、被告がこれを後日の退職金の源資とするために従業員名義の預金口座に積み立てておくこととしていた。退職金の支給に際しては、退職予定日の一週間位前に、齋藤が退職予定者の氏名と金額を記載したメモを大野社長に提出し、大野社長は、当該退職予定者に係る年金一時払額を目安にして金額を決定したが、齋藤の申し出た金額どおりに決定することが多く、それを増減するときでも、齋藤の申し出金額にほゞ近い金額で決定していた。ちなみに、原告川崎は平成三年三月二日に満五五年に達し(〈証拠略〉)、同年四月五日三三八万五九九〇円の年金一時払金を受給し、原告長田は平成五年二月一四日満五五年に達し(〈証拠略〉)、同年五月一四日三六八万七七二〇円の年金一時払金を受給し、原告北村は昭和六二年二月一一日満五五年に達し(〈証拠略〉)、同年三月四日二八二万一六六〇円の年金一時払金を受給し、それぞれ各人の預金口座に振り込まれ、各原告がそれぞれその払戻しを受けて、これを被告に預託していた。被告は、右各年金一時払額を目安に、原告川崎の退職金を四〇〇万円(年金一時払額よりも六一万四〇一〇円増額)、原告長田の退職金を三二〇万円(年金一時払額よりも四八万七七二〇円減額)、原告北村の退職金を四五〇万円(一九七万八三四〇円増額)と決定した。なお、原告長田の退職金額が年金一時払額よりも少ないのは、途中一時退職していた(被告はその間も掛け金を支払っていた。)事情が考慮されたものであり、原告北村の退職金額が年金一時払額よりも一九七万円余も多いのは、その勤続年数が三三年以上であることを考慮したものである。(〈証拠・人証略〉)

(三)  齋藤証人は、退職金の支給の際は自分が本件規程に基づいて退職金額を計算した書類を社長に提出し、最終的には、社長が勤続年数や勤務状態、退職の理由などを勘案して支給額を決定したと証言する。しかし、被告代表者は、右証言に係る事実を否定する趣旨の供述をしているところであるし、昭和五九年七月一〇日から平成四年一〇月二五日までの間に被告会社を退職して退職金の支給を受けた職員一七名について現実に支給された退職金額と本件規程に基づいて算定した計算上の金額を対比してみると、その間には、齋藤証人が証言するような方法で退職金を支給していたとするには、余りにも不自然な開差が認められる。すなわち、西尾欽允は現実の支給額二八万八四三四円に対し計算上の金額八八万三四五六円(〈証拠略〉)、折山ゆり子は現実の支給額一〇万円に対し計算上の金額一一万五一六八円(〈証拠略〉)、西山年雄は現実の支給額一〇万円に対し計算上の金額二九万八八一六円(〈証拠略〉、弁論の全趣旨)、半田銀造は現実の支給額二五〇万円に対し計算上の金額四一九万〇四〇〇円(〈証拠略〉)、大塚松吉は現実の支給額四〇〇万円に対し計算上の金額九〇四万三二〇〇円(〈証拠略〉)、三谷知巳は現実の支給額三〇万円に対し計算上の金額三八〇万九五五〇円(〈証拠略〉)、早川信は現実の支給額三八二万円に対し計算上の金額八九二万六五八〇円(〈証拠略〉)、前田政雄は現実の支給額四〇万円に対し計算上の金額一四三万四三〇四円(〈証拠略〉)、山崎逸男は現実の支給額一〇五万円に対し計算上の金額一六四万四五四四円(〈証拠略〉)、塚田文彦は現実の支給額三〇〇万円に対し計算上の支給額五八四万六四九〇円(〈証拠略〉)、大平允洋は現実の支給額一五〇万円に対し計算上の金額二三四万八二一〇円(〈証拠略〉)、長田良雄は現実の支給額五〇万円に対し計算上の金額一三九万四五九二円(〈証拠略〉)、松本千津子は現実の支給額四〇万円に対し計算上の金額二六万一六〇〇円(〈証拠略〉)、斉藤美夫は現実の支給額三〇万円に対し計算上の金額五九万三一〇〇円(〈証拠略〉)、小川勉は現実の支給額二五万円に対し計算上の金額一五万一七一六円(〈証拠略〉)、菊地利夫(取締役)は現実の支給額一〇〇〇万円に対し計算上の金額六一七七万六八〇〇円(〈証拠略〉)、四十住光章は現実の支給額一〇万円に対し計算上の金額二二万〇一七六円(〈証拠略〉)であって、その間にはいずれも極めて大きな開差のあることが認められるのである。そして、現実の支給額が本件規程に基づいて計算した金額を基にして勤務年数や勤務状態、退職の理由などを勘案して決定されたものにしては、計算上の金額との間に認められる開差は、余りにも大きくて不自然というべきである。右齋藤証言に信を措くことはできない。

4  以上の検討の結果によると、本件規程が被告会社において適用されていた退職金規程であるとの原告らの主張を根拠付ける齋藤供述には、払拭することができない疑問点が多々あるのみならず、客観的事実と符合しない点もあって、これを信用することはできないものといわざるをえない。そして、他に右主張を認めるに足りる証拠はなく、結局、本件において取り調べた証拠関係の下においては、本件書面が被告会社の退職金の支給について規定する退職金規程であると認めるには足りないものというべきである。争点に関する原告らの主張は、採用することができない。

二  そうすると、本件規程が被告の退職金規程であることを前提として、被告に対し、本件規程に基づいて未払退職金の支払を求める原告らの請求は、いずれも理由がないことに帰する。

第四結論

以上の認定及び判断の結果によると、原告らの本件請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡邉等)

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